いまでも残る風習、皆さんは鯉のぼりがどうしてあげられるのか知っていますか?
始まりは江戸時代の武家です。
元々は端午の節句である旧暦の5月5日に鯉のぼりを上げていましたが、現在はグレゴリオ暦の5月5日に鯉のぼりを上げる事になっています。
現在、鯉のぼりは三匹セットになっているものが最も多いのではないでしょうか?
鯉のぼりの上から黒いのが真鯉、赤いのが緋鯉、最後に青い子鯉です。
最近では種類も多く子鯉の色はさまざまあり女の子を含めた家族全員分の鯉を上げるところもあるみたいです。
最近の鯉のぼりは小さいものが多くなり、屋根より高く上げている鯉のぼりを見ることはあまりありません。
マンション暮らしの家庭も増えましたし、一戸建てでも庭が広くなければ 大きな鯉のぼりを上げる事が出来ないからでしょうね。
しかし 鯉のぼりは、小さくはなりましたが、風習はきちんと残っているんです。
今の鯉のぼりは真鯉がお父さん、緋鯉がお母さん、子鯉が子供となっていて 鯉のぼりによって家族をイメージさせますが、もともとは違ったんです。
中国の歴史書から竜門と呼ばれる急流の滝に多くの魚が登ろうとしましたが、鯉以外の魚は登ることができませんでした。
唯一、滝を登ることができた鯉が竜になった逸話から立身出世をイメージさせるものになりました。
この話を知っている人は、多少いるのではないでしょうか?
この鯉のイメージから子どもが生まれたとき立身出世するようにと上げられたのが鯉のぼりの始まりだと言われています。
だから 最初の鯉のぼりは、一匹のみの真鯉で真鯉はお父さんをイメージさせるものではなく、子供をイメージしたものでした。
今とはだいぶ意味合いが違いますね。
真鯉が子供だったとは、想像がつきませんでした。
そして いつしか真鯉のしたに緋鯉がつけられるようになって、真鯉が子どもではなく子供から父親になったのです。
このときも 緋鯉は母親としてつけられたのではなく、子供としてつけられました。
そのことがわかる一節がある歌にあります。
それが皆さんも知っていると思われる「鯉のぼり」という歌です。
鯉のぼりの一節に「小さい緋鯉はこどもたち」と言う部分があります。
このことからわかるように 緋鯉は子供だったのです。
そのあと 緋鯉のしたにもう一つ小さな鯉がつけられるようになり、今の真鯉がお父さん、緋鯉がお母さん、子鯉が子供という風になったんですね。
元々の鯉のぼりは、男の子の健康を願ったものでしたが、近年では男女関係がなくなってきました。
昔と今では鯉のぼりのイメージが少しずつ違っているんです。
鯉のぼりは家族の健康を祝うものです。
もし余裕があればベランダに小さな鯉のぼりでも飾るといいかもしれませんね。